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482だより

1999年12月号

先の11月10日〜11日の両日に亘り、千葉県の幕張メッセにおいてゴルフ場関連の展示会が開催されました。この展示会はこのところ隔年開催となっておりますが、それでもなお出展数の減少や来場者数の減少に歯止めがかからなかったようです。当社でも今回出展いたしましたが、往時の賑わいには程遠く、業界の低迷ぶりの象徴のように思えました。

 さて、1999年も12月に入り、ニュ−ミレニアムという言葉がマスメディア等で盛んに使われるようになってまいりました。考えてみますと、西暦というのはイエスキリストの生誕からスタ−トしているわけですから、我が国の主要宗教からすれば、このミレニアム騒ぎはやや的外れの様相にも思われます。しかし今や国際的には西暦が標準として使用されていることから、やはりこれも当然のことなのかも知れません。

ミレニアムということで、どうしても1000年という単位ばかりが強調されてしまいますが、1999年というのは1000年代の終わりであるばかりでなく、1900年代の終わりでもあるわけです。この1900年代というのは、少なくとも日本のゴルフ業界にとっては永遠に語り継がれるであろう激動の年代だったように思います。日本で初めてゴルフ場が正式に開場した記念すべき年代でありますし、ゴルフというスポーツが日本で初めて認知され、また広く普及した年代でもあります。そしてご承知の通り、バブル景気とゴルフブームによるゴルフ場の開発ラッシュが起こった年代でもあります。

私事で恐縮ですが、私がゴルフ業界に関わり始めたのが1900年代の半ばでした。私は1955年頃からゴルフコ−スと関わりをもつようになり、1957年(昭和32年)には栃木県の那須ゴルフ倶楽部のグリ−ンキ−パ−として就職いたしました。もう40年以上も前のことになりますが、当時は栃木県にゴルフ場は2ヶ所(現在135ヶ所)、全国でも30ヶ所ぐらいしかありませんでした。

またこの年には、例のカナダカップが霞ケ関C.C.で開催され、日本のチ−ムが優勝いたしました。しかもこの時の個人優勝が日本の中村寅吉プロということもあり、この快挙はマスコミにも大きく取り上げられました。これを契機にゴルフというスポ−ツが日本のマスコミにも、また広く一般にも認知されるようになり、この年以降、年々ゴルフ業界はマスコミの寵児となり、1990年代のバブルに向けて走り続けたのでした。

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