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482だより

2007年2月号

先月号で私がゴルフ業界と関わるようになってから今年でちょうど50年ということを言いましたが、私が社団法人那須ゴルフ倶楽部へ入社した1957年(昭32年)は、当時カナダカップと呼ばれていた現在のゴルフワールドカップが日本で初めて霞ヶ関カンツリー倶楽部で開催され、団体では日本が優勝し、個人では中村寅吉プロが優勝した年でもありました。

当時は、当然のことながらゴルフのテレビ中継などはなく、ゴルフに対する国民の関心も甚だ低いものでした。ゴルフコースの数は関東近郊でおそらく15ヶ所程度ではなかったかと思います。ですが、この時の日本勢の活躍については新聞でも大きく報道され、これがおそらく新聞でゴルフが大きく扱われた最初のニュースだったかと思います。外国選手達が日本のコウライシバグリーンに悩まされたという記事がでていたのをよく覚えています。

また、この年は同時に日本グリーンキーパーズ協会が発足した年でもありました。その時に私も末席にいた覚えがありますが、今ではそのほとんどの先輩の方々が亡くなられたり、現役を退かれたりしています。

当時からみて、芝草管理技術の中で最も進歩したのは管理機械類だと思われます。当時は芝刈りを中心としたもの以外、機械というのはあまりなく、グリーンモアはランサム社製のエンジン付きのものが輸入されていて、これを使っていました。エンジンもリールを回すだけのエンジンで、手で押して刈るものでした。

その他に大きく変化したものとしては、目土、更新作業が重要視されるようになったということでしょう。当時はまだ目土には黒土が良いとされ、目土に砂が用いられるようになったのは20年ぐらいたってからです。そして、目土、更新作業が本格的に行われるようになって、ようやくベントグラスがワングリーンとして使えるようになりました。

今後もやはり、目土と更新作業が芝草の活力維持に欠かせないものであることは変わらないと思われますが、より能率的な機械の開発などにより、更に高度な芝草維持ができるようになるのではないかと考えます。

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